30代無職、リア充になるための読書ログ。

何事にも興味がわかなくなった読書経験が少ない30代無職職歴ほぼ無し男が、リア充になるために本を読みます。

『嫌われる勇気』を読みでみました。

この本は、著者が解釈するアルフレッド・アドラーの思想を対話の物語形式でまとめたもの。

人生がうまくいかず悩める青年が「質問」し、それに対しアドラー哲学のもと「哲人」が答える。

そのやりとりの中で「どうすれば人は幸せに生きることができるか」を探る。

 

まず、この本で最初に言われるのは、「人は変われる」ということ。

そのためにアドラー哲学では「原因論」を否定し、「目的論」で考えている。

原因論では過去にある原因が、現在の結果を決定している、と考えるが、目的論では「人は目的にそって生きている」と考える。

例えば、原因論で、「外に出たくない(結果)のは不安があるからだ(原因)」という考え方は、「外に出たくない(目的)から、不安という感情を作っている(手段)」ということになる。

そこで、「幸せになる」(目的)という目的を達成するには、今の「不幸せと思う」ライフスタイルをやめ、選びなおす」という決心(手段)が必要となるのだ。

ライフスタイルというのは、性格や気質のことを指す。

この性格や気質を選びなおせる、とアドラー心理学では言っているのだ。

不幸せでいたいから、暗い気持ちになっているということならば、幸せになる、と目標を掲げたとき、明るい気持ちでいることで幸せになれるのだろう。

ただ、それは乗りなれない車を運転するような別の意味で新たな「不安」が出てくる。

そのためにも、「幸せになる勇気」というのが必要になる。

 

そして次に、対人関係で抱いてしまう「劣等感」。しかし、アドラー心理学では劣等感の定義を「理想に到達できていない自分に対し、まるで劣っているかのような感覚」とし、人との比較で劣等性を抱くものを「劣等コンプレックス」という言葉で表している。

具体的に言うと、

劣等感「私は学歴が低いから人一倍頑張らなきゃ」

劣等コンプレックス「私は学歴が低いから成功できない」

という感じで、自分との比較か、他人との比較かでの違いがある。

また、劣等コンプレックスがこじれると、「優越コンプレックス」というものになる。

「優越コンプレックス」とは、劣等コンプレックスを認めてくなく、あたかも自分が優れているかのようにふるまい偽りの優越感の浸ることである。

 

そもそも、劣等感というのは主観的な思い込みである。

物のとり方でそれはいいものにも悪いものにもなるものだ。

例えば、「身長が低い」ということはコンプレックスになりがちだが、その容姿が「人をなごませる」というとらえ方をすれば、「劣っているもの」ということにはならない。

 

そして、健全な劣等感を持つことは自分の成長にもつながる。

理想の自分と比較することで「ここができていないな」「こうすればもっと良くなる」と、できていないことを良くしてしていけば、その理想に近づいていくことができる。

今の自分より前に進もうとすることに価値がある、ということが書かれている。

 

 

 

最後に、大切なこととして「共同体感覚」という概念がある。

「共同体感覚」とは、他者を仲間とみなし、そこに「自分の居場所がある」と感じられること。この所属感が幸せにつながるのだ。

この「共同体感覚」を持つのに必要なのは、「自己受容」と「他者信頼」と「他者貢献」の3つ。

端的にいうと、

自己受容・・・肯定的なあきらめをすること。

他者信頼・・・いっさい条件をつけず他者を信じる。

他者貢献・・・目に見えずとも「人の役に立っている」と貢献感を持てること。

である。

 

なぜ共同体感覚が重要なのか。

 アドラー心理学の掲げる目標というものがある。

行動面の目標として

①自立すること

②社会と調和して暮らせること

この行動を支える心理面の目標として、

①わたしには能力がある、という意識

②人々はわたしの仲間である、という意識

 

①は自己受容に関し、②は他者信頼につながり、他者貢献につながっていく。

他者貢献をすることで、人は幸せになることができると、この本では言われている。

つまり「共同体感覚」とは、幸福なる対人関係の在り方を考えるもっとも重要な指標といえる。

 

 

「全ての悩みは人間関係にある」と、アドラー心理学では考えられている。

逆に言うと、幸福の源泉もまた対人関係にある、ということにもなる。

そのためにも「共同体感覚」を得るべくそれに向かう「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」ことこそ、今から変えられる意識なのではないだろうか。