オイラ的充実読書ログ。

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筒井康隆の小説感想その22 『時越半四郎』

『時越半四郎』(1966年)

 

変わり者の武士半四郎の未来的視点にみる、価値観の違いの話。

 

あらすじ

 

武士の子に生まれた半四郎は、一風変わった若者だった。

彼には姿かたちが周りと違っていて、冴えた知性が持っていた。

ある日、同輩の岡村喜七郎から恥をかかされたとして、果し状を突き付けられた。

それを受け取った半四郎は、すぐに岡村邸へ行き、喜七郎に果し状を返しに行く。

殺し合いに意味がない。

しかし武士の価値観では恥をかかされたとなれば、果し合いも辞さない。

問答の末怒りの頂点に達した喜七郎は、半四郎に切りかかる。

垣根ぎわに追い詰められた半四郎は、半四郎が刀を振りかぶろうとしたとき、姿を消した。 

忽然と姿がいなくなり、二日が経ち、半四郎の父源内のところに半四郎の上役の主殿がやってくる。

そこで、父は半四郎の出生の秘密を打ち明けおわるかいなかのところでだしぬけに半四郎が空間を突き破ったかのように現れた。

驚きながらも、この二日間どこに行っていたのか詰問する源内。それがエスカレートし、半四郎を責め立てるも、半四郎に冷たい目で見られるせいで、自分が理屈にならないことを言っているような気になってくる。

そうして、部屋に戻るよう言われた半四郎は、タイムリープができることに気づく。

それを利用して、好意のある弥生に何度も会いに行くのだが、喜七郎と若い武士たちにとりかこまれ移動したときに、弥生が今まで介抱していたひばりとちょうど重なり合い、融合して死ぬ。

 

そして、未来に舞台は移り。出生した赤ん坊がいなくなった、という病院の医院長室で話から始まる。

母親は、テレポーテーション、タイムリープテレキネシスの能力の持ち主。

父親も、タイムリープと遺伝記憶の能力者だ。

母親は、この病院に来て二週間、何かに興味を持っていたか。

医院長そう聞かれると、若い医者があわててポケットをまさぐりながら、注意して取り上げた本があったことを伝え、医院長にそれを渡した。

それは時代小説だった。

 

 

武士の時代の価値観のばかばかしさが強調されている。

その時代その時代はそれで良かったのかもしれないけど、今考えるとばかばかしいものだ。

「昔は良かった」と言っている人がいるけど、廃刀令から何十年か経った後、やはり武士は「昔は良かった」とか言っていたのだろうか。

これから生まれてくる子供たちも「昔は良かった」と言うのだろうか。

オイラは、今のところ、暴力にも似たイケイケドンドンの時代よりも、現在の方が良いと思うんだけれども。金銭面以外では。

 

面白かったところ。

 

 

貴公たち、ちっとは借りものではなく、自分の頭でものごとを考えたらどうか。おれがどんな恥をさらした。かりにおれが恥をさらしたとして、それがなぜ貴公らの恥になるのだ。またそれがどうして、ご主君や藩の恥になるのだ。そんなことを言い出したらきりがない。おれが恥をかいたと思うなら、勝手に物笑いの種にしていればいいではないか。(以下略)

 

筒井康隆『時越半四郎』 

 

武士の時代の「恥」とそれより先の未来の「恥」との考え方の違い、言ってしまえば「これからの恥」の概念が端的にあらわされていて、小気味良い。

日本人が海外で変なこと、例えば凱旋門に立小便をしたら、「日本の恥だ」と言う人が多いだろう。薄らいでいるが昔からの価値観だ。

しかし、これからは個人の時代になる。

凱旋門に立小便をしたからといって、それはその人個人の問題であり、日本人の大多数はそういうことはしない。親や国に責任があるのかもしれないが、どれだけあるのかはわからない。なので、この先は恥と存在が小さくなっていくのかもしれない。

 

ただ、すでに多くの人間が恥じない国もあるみたいだけど。