オイラ的充実読書ログ。

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筒井康隆の小説感想その25 『お玉熱演』

『お玉熱演』(1966年)

 

歌手志望のお玉が、わけもわからず厳しいダメ出しの中で演技をさせられる話。

 

お玉は歌手志望だった。

突然訪問したテレビ局の人間と名乗るものに、出演依頼をされる。

矢も楯もたまらず喜び、契約をするお玉。

連れていかれたのはボロボロのテレビスタジオだった。

そこでわけもわからず演技をさせられるお玉。台本もない。

数時間に渡り束縛された彼女はご飯もトイレにも行けていない。

ようやくトイレに行くことを許可されたお玉は、どぶ川の見えるそのトイレで涙にくれた。

一方、別のスタジオ。

スタジオのテレビ局員は、先ほど送ってもらった映像を合成する支持を流していた。

その時代では1960年代の人間の演技が人気を博しているという。

ちょうど、昔の人間が猿回しを見て喜んていたように。

 

おバカで夢見がちなお玉がかわいそうさが、回されている猿のかわいそうさに映ってしまう。お玉は、わけもわからず演技をするのだが、この時代では報われず、仮に有名になれとすれば未来の話だ。猿にはエサが与えられるが、お玉には目的としている「有名になること」がないのとエサもあるのかわからない。

 

現実の現代だとAVにスカウトされるのとどっこいどっこいだろうな。

有名になりたいかい、なんて騙されて。

猿のように回されて、もとい猿のような男たちに回されて。

 

表現の面白い一節。

 

 

だが下着のコマーシャルに出るには、彼女は自分の肌が腫瘍の傷だらけであることを自覚しすぎている。司会をやるには、彼女は自分が関西弁まるだしであることを苦にしすぎている。 ドラマを演じるには、彼女は自分の顔がニキビだらけで、その上鼻筋が通っていないことを認識しすぎている。

 

筒井康隆『お玉熱演』

 

 

自覚し、苦にして、認識しすぎている。

悲しく切なく、リズムがいい。