オイラ的充実読書ログ。

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筒井康隆の小説感想12冊目 『ホンキイ・トンク』

ホンキイ・トンク

『君発ちて後』
夫の蒸発に、妻は夫を捜しながら、周りの事柄に女の欲求不満的妄想が膨らむ。
最後の方の狂ったような妄想は、大きな目的のないところだけどつい引き込まれてしまう。
夢のような、気狂いのような、面白い男性的な雰囲気の女性心理描写を感じた。


『ワイド仇討』
嫌々仇討ちに出た侍たちが、旅の中で協力して仇討ちができるようどんどん仲間をを増やし、露天商として人気になっていく。
仇討をしたくなくなっていく皆の前に、最後はあちらも徒党を組んだ仇討相手との対決が待ち受ける。
途中までは、本当にいい感じの旅の雰囲気。このまま仇討がなければいいのになあ、という風に心を導かれ、しかし当然、最後には筒井先生らしい、凄惨な殺し合いが巻き起こる。
最後の巡査と語りであるお付きの策助のシニカルでコミカルなシーンを演じてるのが良い。


『断末魔酔狂地獄』
老人たちが長生きをする時代、医療技術の向上で元気な老人たちが増えた。それにより、狂乱に身を任せる老人たちが乱痴気騒ぎを起こす。
「二人生き返って、二人死んだからあいこじゃ」とかようわからん、年寄り狂乱ギャグが面白い。
マスコミの騒ぎ立てへのちゃかしも皮肉めいている。


『オナンの末裔』
オナニーをしたことがない若いサラリーマンが、聞きづてにオナニーを試みる話。想像の場面が周囲の、会社の中に集中しているのが悲しい。


『雨乞い小町』
歴史の中であった小野小町の雨乞いをするために読んだ歌の話をベースに、タイムマシンでやってきた人間が雨乞いを助けたりする。
昔にいた歌を詠む名人「六歌仙」たちを現代風に話をさせている。
なんでもこの六歌仙のやりとりは、文壇バーでよく行われるものをもとにしているそうだ。
現代人風にされた六歌仙の様子を考えると、楽しい。


『小説「私小説」』
小説家がネタのために女中を手籠にしようとする話。字に起こされたものは、実際のものとはかけ離れていて、作品としてあるためにとても取り繕われている。
そんな様子を全て把握して徐々に狂っていく妻が不憫であり、哀れだった。
女中の部屋で手篭めするシーン「彼は自己の肉体の、この突発的な裏切りに行為にうろたえた。」歳もとってやったことのないことなんだから、その可能性も考えておくべきだったと思う。
自信家すぎるのも考えものだ。


『ぐれ健が戻った』
短気な家族の短気話のやりとりを描いた、ファミリードラマの一場面。
まあ、最後は相変わらず常識外れなシーンで終わる。途中で、大体の家族が死んでいることがわかるのは、一つのアクセントになっているのか?


『ホンキイ・トンク』
コンピュータ技師が小国にパソコンのオペレーターとして赴く。そこの王女は調子っぱずれのパソコンを敢えて組み立て、自国をより良くしようとするのであった。
まず、表題の「ホンキイ・トンク」という言葉が面白い。意味も調子はずれのメロディという、言葉の響きにあっている。さらには小説全体も、王女の行動や、世間の流れに上がったり下がったりさせらる主人公のその様は、まさに「ホンキイ・トンク」のようにも思える。
流れるメロディのような小説。